えいご日日平安

つれづれなるままに 日暮らし 硯に向かひて

あー、大変だ。

東京ディズニーリゾートが7月1日から再開することが決まったようです。私はもう、そういう歳ではないので、今では特に行きたいなと思うことはないですが、再開を心待ちにしていた人たちには待望のニュースだと思います。

 

ディズニーと言えば、多くの人はミッキーやミニーという感じかも知れませんが、私にとっては圧倒的にプーさんです。私の子供が大好きだったいうこともありますが、クリストファー・ロビンが架空の人物ではないということが、現実的な私の感性にあっているのだと思います。と言うわけで、今日の一曲は、プーさんのことを歌った、"The Nitty Gritty Dart Band"の"House at Pooh Corner"に致します。と、歌詞を転記しようかなと、CDの歌詞カードを取り出してみたら、以前の記事の「きっとミスだ、間違いない!」のようなミスを見つけました。おかしな部分を❲  ❳でくくりました。

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The Nitty Gritty Dirt Band - House at Pooh Corner

 

❲Christopher, Robin❳ and I walked along

Under the branches lit up by the moon

Posing our questions to owls ❲in the or❳

As the day disappeared all too soon

But I wandered much further today than I should

And I can't find my way to the three acre wood

 

So help me if you can, I've got to get back

To the house at ❲a quarter❳ by one

You'd be surprised there's so much to be done

Count all the bees in the hive

Chase all the clouds from the sky

Back to the days of ❲Christopher, Robin❳ and Pooh

 

クリストファー・ロビンとボクが歩くのは

月明かりで照らされた木々の枝の下

オウルとイーヨーにいろいろ聞いていたら

すぐに一日が終わってしまうんだ

でも、今日は余計に歩いてきちゃったみたい

3エーカーの森への帰り道が分からないんだ

 

だから、助けて、帰らなければいけないんだ

一時までにプー横丁の家へ

しなければいけないことが多すぎて、みんな驚くよ

蜂の巣の中の蜂を全部数えて

空に浮かぶ雲を全部取っ払わなければならないんだ

あのクリストファー・ロビンとプーの日々に帰ろう

 

一行目の❲  ❳の書き方では、「クリストファーとロビンと私」となってしまう点、三行目は、本来名詞の前に置かれる定冠詞が、接続詞の直前にある点、そして八行目の❲  ❳は訳そうと思えば可能ですが、なんだかヘンテコリンな文章になってしまいます。改めて修正も必要無いかとは思いますが、一行目は”Christopher Robin"ですし、三行目は、"and Eeyore"、八行目は”Pooh corner"になるはずです。どのような作業を経て、歌詞カードが作られているのかは存じ上げませんが、ディクテーションを出来るような人が、自分の書いている英文を文法的にも意味という点からも、おかしいと思わなかったのでしょうか。やはり、プロである以上は「いい加減」ということは許されないと思います。

 

逆に、いい加減でも良いのに、いい加減にはしないのも困ります。私がまだ仙台にいる頃、息子を東北ニュージーランド村で行われたウルトラマンショーに連れて行ったことがあります。ショーが始まると、ニコニコしながら見ているので、早起きして連れてきた甲斐があったな、と満足していました。開始から10分程経った頃でしょうか、同じニコニコ顔のまま、「あのウルトラセブン、女の人だね」と囁きました。確かに、ウルトラセブンのスーツは少し肩が落ちているし、怪獣と戦っていて倒れる時も、足を揃えておしりをつくなど、女性らしい感じを醸し出していました。それはそうだけど、それを言っちゃ……、という感じで、残りの数十分は放心状態で過ごしました。

 

そんな日から数年が経ち、今度は娘の言葉にガッカリさせられました。TVアニメの「あらいぐまラスカル」で、森で暮らしたほうが幸せだろうと、スターリングがラスカルを森に残したまま、カヌーを漕ぎ出すシーンがあります。それを森の中から見つめる鹿がスターリングに対し、会釈のように首を動かした瞬間、娘が「あの鹿、着ぐるみだね」と言うのです。おそらく、鹿が人間のように意識的に会釈をすることに違和感を覚えて、覚えたての言葉を使ったのだと思います。が、親というのは子供の為に、分かっていることも分からないふりをして、子供の夢を壊さないよう、一緒の純真な気持ちになって見ようと努力しているのに、うちの子どもたちは親の思いを見事なまでに叩き壊してくれました。誠に優柔不断ながら、私はやはり「いい加減」な人が好きです。