柔の道に生命をかけた……
昨日、山下泰裕さんが編者の「柔の道」を読みました。ご存知の方も多いかと思いますが、この本はロサンゼルス五輪、ソウル五輪の95キロ超級で金メダルを獲得された斉藤仁さんについて書かれたものです。私は、斎藤仁さんが山下泰裕さんと全日本柔道選手権で対戦していた頃は、どちらか言うと山下さんを応援していました。特に理由はなかったのですが、仮面ライダー1号を演じた藤岡弘さんと2号の佐々木剛さんとの違いのようなもので、先にヒーローになっていた方に、より思い入れがあったのかも知れません。
今回この本を読む前に恐れていたことが一つありました。最近涙腺が緩めなので、こういう系統の本を読むとティッシュが手放せなくなることです。しかし、興味がどうしても上回り、読むことにした結果、……案の定でした。いつもは、気分を洋楽でイメージするのですが、日本のお家芸である柔道ということと、まさにこの歌以外にはないだろうと思ったので、今回は日本の曲にしました。
誰にも見せない泪があった
人知れず流した泪があった
決して平らな道ではなかった
けれど確かに歩んで来た道だ。
あの時思い描いた夢の途中に今も
何度も何度もあきらめかけた夢の途中
いくつもの日々を越えて
たどり着いた今がある
だからもう迷わずに進めばいい
栄光の架橋へと
悔しくて眠れなかった夜があった
怖くて震えていた夜があった
もう駄目だと全てが嫌になって
逃げ出そうとした時も
想い出せばこうしてたくさんの
支えの中で歩いてきた
悲しみや苦しみの先に
それぞれの光がある
さあ行こう、振り返らず走り出せばいい
希望に満ちた空へ
歌詞を転記しながらも、ソウル五輪の表彰式での斎藤仁さんの涙を思い出して、鼻がツーンとします。
斎藤さんは身体が柔らかく、また身体能力も高かったそうです。140キロ前後の体重ながら、倒立歩行は50メートルは簡単に出来たと、山下さんは書いています。それに加えて、技をかける時の身体の動きをミリ単位で突き詰める練習熱心さもあり、才能と努力の人だったんだなと改めて感じさせられました。そんな斉藤さんも、国士舘高校に入り、夏休みに青森に帰省した後は、東京に戻っても柔道部の寮に戻りたくなかったようで、山手線をグルグル回っていたこともあったようです。
現役を引退後は、国士舘大学の監督となり、鈴木桂治現国士舘大学監督たちを指導されました。その鈴木監督の思い出話には驚かされました。斉藤さんは指導の厳しさと言うより、修行の厳しさが際立っていたようで、与えられた課題が出来ない場合は、夜九時まで練習が続いたそうです。その後、寮に帰り、十時になると再度呼び出しがかかり、翌朝三時近くまで練習をさせられたこともあったとのことです。「三時近くまで」というのは、午前三時を過ぎると翌日の朝練が免除になってしまうので、そのギリギリの時間までということだったそうです。そのような鬼のような厳しい練習を乗り越えたからこそ、鈴木監督もアテネ五輪で金メダルに輝いたのだと思うと、鈴木監督もまた、「栄光の架け橋」がピッタリです。