えいご日日平安

つれづれなるままに 日暮らし 硯に向かひて

めぐる、めぐる、めぐる月日は風車

昨日から、青山透子氏の「日航123便墜落圧力障壁説をくつがえす」を読んでいます。これまでの青山氏の著作を全て読んできましたが、読めば読むほど、一般的に事実とされてきた、大阪空港でのしりもち事故が原因の圧力障壁損壊説への疑念が深まります。私は、この事故があった1985年8月12日に、友人とともに山中湖にいました。その友人が、この日午後7時前に、「どこに行く飛行機かな、あれ」と窓から外を見ながら言うのに対し、私は、特にその事に関心がなかったので、「どこだろうね」と生返事したのを覚えています。その後、日航機がレーダーから消えた、とテレビの速報が伝えた時、「さっきの飛行機だったりして」と、冗談を言うのに対しても、「まさか」と相手にしませんでした。しかし、これまでに報道された123便の飛行ルートを見ると、大月上空で大きく周回しています。山中湖から大月までは結構な距離がありますが、もしかしたら本当に当該機を友人は見ていたのかな、と今では思ってたりしています。

 

この日航機墜落の件に関する報道や本を読む度に、坂本九さんの笑顔が頭に浮かびます。今日は、洋楽ではなく、坂本九さんの「見上げてごらん夜の星を」にしたいと思います。

 


見上げてごらん夜の星を 坂本九 1985年3月「日曜ビッグスペシャル」より

 

見上げてごらん夜の星を

小さな星の小さな光が

ささやかな幸せを歌ってる

見上げてごらん夜の星を

ぼくらのように名もない星が

ささやかな幸せを祈ってる

 

手をつなごう僕と

おいかけよう夢を

二人なら苦しくなんかないさ

 

私は、小学生の頃NHKの「新八犬伝」が好きで、毎日の夕方が楽しいひとときでした。私の記憶では、新宿の京王デパートだったと想いますが、「新八犬伝展」が開かれていて、坂本九さんのサイン会があるとの情報を得たので、是非御本人に会いたいし、サインも欲しいと思い、行きました。ところが、会場に到着すると、「本日、坂本九さんは体調が悪く、来られません」とアナウンスがあります。周りにいた人たち同様、私は非常にガッカリしました。仕方がないので、展示されているものを見ていたら、「坂本九さんが急遽来られることになりました。今しばらくお待ちください」と再びアナウンスがあり、数十分後、坂本九さんが来られました。サイン会に多くの子どもたちが来ているとの知らせを聞いて、来て下さったとのことで、子どもの頃から涙腺が緩い私は、ウルッときました。サイン会が始まり、色紙にサインをして頂いた後に握手をして下さった坂本九さんの右手がとても熱く、高熱を押して来たのは明らかでした。その手の熱さは、今でも忘れられません。

 

その色紙は、当然ですが大切に保管していました。「保管していました」と書いたのは、今は現存しないからです。結婚後しばらくしてから、その色紙が実家にあるのを思い出し、取りに行った時のことです。実家の自分の部屋であったところが、模様替えされており、色紙がどこにあるか分かりません。きっと私の父がどこかにしまったのだろうと思い、聞いてみました。その答えが、「ああ、あれか。何が書いてるかさっぱり分からんから捨てた」でした。私は有名人にサインをしてもらったことはそれほど多くありませんが、楷書体で読みやすく書かれているサインは見たことがありません。まして、色紙という特別な紙に書かれているのですから、大切なものかなと思って当然です。でも、少しも悪びれる表情もなく、涼しい父の横顔を見た時、これは何を言っても無駄だな、とすぐに諦めることが出来ました。その父も鬼籍に入って、しばらく経ちます。向こうで坂本九さんに会っていて、サインをもらっていたりしていたら、その時は力いっぱい怒ります。